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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

水と御霊によって新しく生まれてこそ救われる

万民ニュース   第 192 号
2183
2018. 10. 28


堂会長イ・ジェロク牧師


「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』 」(ヨハネ3:3)



今日、多くの人がイエス・キリストを受け入れて神を信じると言うが、いざとなると救いの確信がない場合が多い。それでは、イエス様とニコデモの対話を通して「水と御霊によって新しく生まれる」というみことばの霊的な意味と、完全な救いの道が何なのか調べてみよう。


1. ニコデモとイエス様との霊的な対話

ヨハネの福音書3章に記されているニコデモは、ユダヤ人の議員であり律法をよく知っているパリサイ人のひとりだった。当時、パリサイ人はうわべだけ聖なるふりをして、心では真理を追い求めなかったし、イエス様の教えを信じないで、排斥して殺そうとまでした。しかし、ニコデモは他のパリサイ人とは違って、真理に対する渇きを感じて、まことの信仰を持ちたいと願っていたので、イエス様を訪ねて来る。

彼はイエス様に「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」と告白する。イエス様はその心の渇きをご存じで「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われる。

ニコデモは「新しく生まれなければ」というみことばがとうてい理解できなかった。御霊に感じているうちに神の力によってこそ、霊的な奥義が悟れるからである(Iコリ4:20)。霊的なみことばを全く理解できなかったニコデモは「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」と再びお伺いした。

するとイエス様は「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」と言われた。人が天国に入るためには、目に見えない霊が生まれ変わらなければならないということである。

人類の先祖アダムは霊のある生きものとして造られたが、罪を犯したので霊が死んでしまった。それ以降、アダムの子孫も霊が死んだ肉の状態で生まれ、すべての人類は霊が死んだ肉の人であり、天国に行くことができなくなった。結局、地獄、すなわち、死の道に向かうしかないのだ。したがって、誰でも天国に入るには、水と御霊によって新しく生まれなければならない。

続いてイエス様は「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」と言われた。私たちが風を見ることができず、その方向を予測できないように、霊の世界のことはただ神のみわざと聖霊の力だけで知ることができて、体験できるということだ。

イエス様に出会った後のニコデモの行跡を見れば、パリサイ人がイエス様を捕らえようとして非難した時に擁護したし(ヨハ7:50-51)、イエス様が十字架につけられて死なれた後、没薬とアロエを混ぜたものを持ってやって来た(ヨハ19:39)。これは彼が救われたことを伝えてくれている。


2. 水によって新しく生まれるというみことばの霊的な意味

<ヨハネ4:14>に「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』」とあるとおり、イエス様が下さる水は「永遠のいのちへの水」である。

<ヨハネ6:54>では、イエス様が「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」と言われた。イエス様の肉を食べるとはみことばを糧とすることであり、イエス様の血を飲むとは信仰によってみことばを行うことである。このようにみことば自体が人に永遠のいのちを与える水になる。

水が汚れを洗って万物に生命を与えるように、霊的にも水、すなわち、みことばは心の罪と悪を洗い落として、永遠のいのちを得させる。憎しみ、憤りなどの罪と悪がみことばによってきれいに洗われるとき、新しく生まれて救われることができるのだ(Iペテ3:21)。したがって、私たちの罪を洗う役割をする水であるみことばを心に糧として行うとき、聖められた義人になって、これが救われたしるしになる。


3. 御霊によって新しく生まれるというみことばの霊的な意味

神は救われた子どもたちに聖霊を賜物として下さり(ヨハ15:26;使2:38)、死んでいた霊が生き返って、信じられる信仰を持てるように助けてくださる。

<第一ヨハネ5:5-8>には「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」とある。

ここでイエス・キリストが「水と血とによって来られた」ということは、水、すなわち、ことばが人として来られたイエス様が尊い血を注ぎ出して死なれたことを意味する。イエス様が十字架につけられて死なれたので、私たちはその尊い血の力によって救われる。だから、水と血とによって来られた方がまさにイエス・キリストであり、主が昇天された後に遣わしてくださった真理の御霊は私たちがこの事実を確かに信じるように助けてくださる。

イエス様が神の御子だと信じる人は「世に勝つ」とあるが、これは世の欲と戦って勝つので、罪を犯さず、真理でないものに染まらないということなのだ。真理の御霊は主を確かに信じるようにするだけでなく、罪と義とさばきについて悟るようになさるので、私たちが十分世に勝つ力を与えてくださる。

真理の御霊によって罪が何か知って、義とされなければならないことを知り、さばきがあることを本当に信じるならば、当然、御霊に従って生きていく。心の罪と悪を毎日脱ぎ捨てて、次第に真理の心に変えられるのだ。

愛する聖徒の皆さん、
このように水と御霊によって新しく生まれ、御霊によって霊を生んでいく人でこそ、神の国に入ることができるのだ。救いと永遠のいのちへの道に導かれた神に感謝し、数えきれないほどの魂を美しい天国へと導くように、主の御名によって祈る。


 

 

 
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