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イエスとイエス・キリストの違い
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「イエス様の御名によって」祈る時と「イエス・キリストの御名によって」祈る時の違いは非常に大きい。 ...
       
 
  
 

[特集] うるわしい信仰生活のための自己診断8項目

万民ニュース   第 99 号
7668
2011. 01. 23


万民中央教会では最も美しい天国、新しいエルサレムへ向けての霊的回復運動を繰り広げている。信仰の初めの愛を回復して、火のように祈り、神の栄光を現わすまことの子どもになるためだ。まことに神のかたちに似せられていくうるわしい信仰生活をするためには、神のみことばどおり行わなければならない。イ・ジェロク牧師の「答えと祝福の神」という説教から抜粋した8項目で自分の信仰をチェックしてみよう。




1. 一日に聖書1章以上読んで、1節以上暗唱しているでしょうか?

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(詩篇1:1-2)

聖書は神のみことばを記した本であり、神が送られた愛の手紙です。神の子どもとしてどのように生きていくべきなのか、その指針が込められていて、神の慰めが込められています。それで、神を愛するなら、いつも聖書を読んで聞いて口ずさみたくなります。重要な聖書の箇所を暗唱して、いつも心に思い浮かべながらそのみことばどおり行えば、永遠に生きることができ (ヨハネ6:51)、神に愛されて、祝福されることができます。


2. いつも喜んでいるでしょうか?

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16-18)

まことの信仰がある聖徒なら、再び来られる主を期待しながら、救われて美しい天国で永遠に生きる望みを持っているので、いつも喜べます。自分に与えられた環境や条件がいくらつらくても、子どもたちにいつも良いものを与えようとされる神を信じるので、いつも喜んでいて、感謝するのです。ただみことばに聞き従って、心から喜べば、闇が退いて、霊肉ともに祝福が臨むなど、神の驚くべき恵みと力が体験できます。


3. 神のみこころのとおり、いつも祈っているでしょうか?

「絶えず祈りなさい。」(第一テサロニケ5:17)「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

初心の者や祈りの生活を始めたばかりの人は、ひょっとして疲れや眠気、雑念と戦いながら祈っても、神が憐れんでくださいます。しかし、数年経っても習慣的にうとうとしていたり、同じ言葉をただ繰り返していたり、長い間祈りをやめているなら、はたして神を愛する心が自分の中にあるのか、顧みなければなりません。祈りをやめる罪は決して犯してはいけないし(第一サムエル12:23)、主のしもべや働き人なら、さらに祈りに努めなければなりません。


4. ひょっとして人を殺してはいないでしょうか?

「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」(第一ヨハネ3:15)

神を信じてまことに愛するなら、前は誰かを憎んでいたとしても、これからは愛する人に変わらなければならないでしょう。誰かに対するとき、心に少しでもわだかまりがあったりしても 憎しみがあるのです。これを認めて、相手をなぜ憎むようになったのか、その根本の問題を解決するために火のように祈らなければなりません。そして、愛を植えつけなければなりません。憎い人を愛するほど憎しみが薄れて、憎しみから派生したそねみ、ねたみ、さばき、罪に定めること、憤り、争いも捨てることができます。


5. 異性を見ると、姦淫の心や情欲が起きてはいないでしょうか?

「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)

今日、世の文化そのものが情欲的で退廃的なので、自分も知らないうちに異性が好きになる心を当たり前と思ったり、警戒しない傾向があります。また、成長過程で性についてわい曲された思いや知識が入力されることもあります。このように間違った価値観やライフスタイルのために罪と思っていなかったことでも、これからは聖書に記された神のみことばに基準に、すべてを照らしてみなければなりません。情欲を捨てるために努めて、心や思いですら浮かばないように火のように祈れば、十分に打ち勝てます。


6. 盗人の心があるのではないでしょうか?

「盗んではならない。」(出エジプト20:15)「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」(出エジプト20:17)

盗人の心とは、他人のものを欲しがる心です。その心には苦労しないで得ようとする欲があるからです。日常生活でもボールペン1本、紙1枚などいくら小さいものでも、持ち主の許しなしに他人のものを取りながら心に何の感覚もないなら、それ自体がまさに盗人の心です。しかも神のものをむやみに取ってはいけません。信仰の兄弟とお金の取引きをしたり、保証人になることもあってはなりません(箴言11:15)。すぐ目の前の利益を追い求めるのではなく、後日、神が下さる祝福を望んで、正しい道を歩まなければなりません。


7. 1年に少なくとも一人以上、伝道しているでしょうか?

「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」(第一コリント1:21)

神を愛して愛されている人は、いつもその人生に幸せがあふれています。それで、いつも周りの人に口を開いて幸せの秘訣を伝えます。また、神を愛する人は魂を愛します。一人の魂を全世界より尊く思う神の心を推し量るので、熱心に伝道します。伝道したいのに大胆になれなくてうまくできないかもしれませんが、大切なのは神のみことばに従おうとする心です。時が良くても悪くてもしっかり宣べ伝えるなら、神が実を結ぶように導かれるのです。


8. すべての人と平和を保っているでしょうか?

「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:17-18)

平和が破れている所には必ず敵である悪魔・サタンが働くので、神がともにおられません。自分が行く所はどこでも平和が破れるなら、誰かのせいではなく、まさに自分のせいであることを悟らなければなりません。何より神との間に何の罪の隔ての壁もない時に、はじめて神と平和を保つことができます。また、主の心に似せられてこそ誰ともぶつからないで、隣人と平和を保つことができるし、心に罪や真理に逆らうものとの戦いがない時はじめて、自分との平和も保つことができるのです。


 

 

 
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