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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

愛は真理を喜びます

万民ニュース   第 130 号
4249
2013. 08. 25


「不正を喜ばずに真理を喜びます。」(第一コリント13:6)



堂会長イ・ジェロク牧師


私たちが神様を愛すれば、不正を行わないだけでなく、真理を行うようになり、さらに真理を喜びます。愛は真理を喜ぶ積極的な表現です。
ヨハネの福音書14:6に「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」とあるように、真理とはイエス・キリストを指しています。また、福音のことを意味し、聖書66巻の神のみことばを意味しています。
神様を愛してその方に愛されている人はイエス・キリストを喜んで、福音の働き、すなわち、神の国が広げられることを喜ぶしかありません。それでは、真理を喜ぶということは具体的にどんなことでしょうか?


1. 真理を喜ぶということ

1)「福音」を喜ぶことです
福音とは、私たちがイエス・キリストを通して救われて天国に行くという良き知らせです。古今東西を問わず、多くの人が真理に飢え渇いています。「人生の目的は何か? 価値ある人生はどこにあるのか?」という人生の答えを得るために思想と哲学を探求して、さまざまな宗教の教理から真理を得ようとします。しかし、真理であるイエス・キリストでなければ、どこの誰も天国に行くことができません。
私たちはイエス・キリストを受け入れることによって救われて、永遠のいのちを得ました。主の尊い血によって罪が赦されて、地獄に行かずに天国に行けるようになったのです。このように人生の目的を正しく知って、価値ある生き方をするようになったので、福音を喜ぶことは至極当然のことです。
福音を喜ぶ人は熱心に福音を伝えます。任された使命を果たして、福音を伝えるために忠実に働きます。第一テモテ2:4に「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」とあります。このようなみことばどおり、神様のみこころを知っているので、福音を聞いて主を受け入れて救われる人が加わることを喜ぶのです。
ところで、ある人は他の人が伝道して多くの実を見せたり、他の教会がリバイバルして神様に栄光を帰せば、ねたんでそねんだりします。こんな心は真理を喜ぶのではありません。
霊の愛があれば、神の国が大いに建て上げられることを喜びます。自分よりもっと忠実に仕えて実を結ぶ人を見ると、自分のことのように喜んで感謝します。リバイバルして愛されている教会を見ても喜びます。これが福音を喜ぶ心、すなわち、愛の心なのです。

2)真理に属するすべてのことを喜ぶことです
これは善、愛、公義など、真理に属することを見て聞いて行うことを喜ぶという意味です。真理を喜ぶ人は小さい善行を見てもすぐ感動します。また、真理である神のみことばが蜜蜂の巣のしたたりよりも甘いと告白して、いつもみことばを聞いて、聖書を読むことを喜びます。さらに、みことばどおりに行うことを喜びます。
たとえば、みことばに「仕えなさい、赦しなさい」とあるので、喜んで聞き従います。相手を嫌って、ねたみ、そねみ、さばいて罪に定めることがあまりにもいやに感じられます。それで、真理を喜ぶ人は相手がうまくいけば喜びます。ねたんでそねまないのです。「あの人が失敗したら……」と悪いことを考えたり、相手の不幸を喜ぶことは想像さえできません。また、不正なことが起きるのを見ると、むしろ悲しみます。それだけでなく、真理を喜ぶ人は移り変わらない心、真実、正直など善の心を好みます。良い言葉と行いを喜びます。
神様はこのような子どもたちをご覧になると、喜びをもって楽しまれます。ゼパニヤ書3:17に「あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」とあるとおりです。
ひょっとして自分を見るとき、「私はまだ完全に真理を喜べない心だな」と気を落とす人がいるでしょうか? 自分を顧みるけれど、失望したり気を落とす必要はありません。愛なる神様は私たちが努力すること自体も真理を喜ぶことだと認めてくださるからです。

3)みことばを信じてそのまま行うことです
初めから真理だけ喜ぶ人は見つけにくいです。心に闇と真理に逆らうものがある時は、人のした悪を思ったり、不正を喜んだりもします。そのうちにだんだんみことばと祈りで変えられて、真理に逆らう心を完全に捨てれば、真理だけ喜ぶ心になります。そうなるまでには熱心に努力する過程が伴います。
たとえば、すべての聖徒が「礼拝をささげるのがとても幸せです」と言うのではありません。初心の者や信仰が弱い聖徒の中には、疲れたり、心が他のところに行っている人もいます。けれども、聖殿に来て礼拝をささげて、みことばどおり従おうと熱心に努力する行いを見せます。つまり、真理を喜ぶのです。なぜそんなに努力するのでしょうか? それは救われて天国に行くためです。
真理のみことばを聞いて神様を信じるので、さばきがあって、天国と地獄があるということも信じます。ひとりひとりに与えられる報いが違うことも知っています。ですから、さらに熱心に聖められて、全家を通じて忠実であろうと努力するのです。いつも真理を完全に喜べないとしても、それぞれの信仰の量りに応じて最善を尽くすことが、まさに真理を喜ぶことなのです。


2. 真理に飢え渇けば祝福

神の子どもならば、不正を喜ばないで真理を喜びます。ただ真理だけが私たちのすべてを新しくて美しく変えさせることのできる、驚くべき力があるからです。
真理である福音を聞いて、そのみことばどおりに生きていくほど、完全な神の子どもに変えられます。天国の望みと霊の愛がぎっしり満ちているから、顔が喜びで輝きます。また、真理に変えられるほど神様に愛されて祝福され、多くの人に愛されるので日々幸せがあふれます。
私たちは真理を喜びますが、さらに真理に飢え渇かなければなりません。飢え渇けば食べ物と飲み物が切に思い出されるように、真理を慕う心もこのように切実であってこそ、すみやかに変えられます。だから、いつも真理を食べて飲む生き方をしなければなりません。
これは神のみことばをまめに糧として行っていくことを言っています。真理である神のみことばは、難しい人生の問題の解決方法と祝福の秘訣、救いと永遠のいのちの道を提示しているので、みことばを行う時に祝福が伴うのです。
愛する聖徒の皆さん、神様をまことに愛すれば、必ず証拠が現れます。真理を見て聞くだけでもうれしくて幸せだから、周りの人たちから「ほんとに幸せそうに見えますね」という言葉を聞くようになります。また、神様と主だけ思っても感謝して涙が出て、小さい善行だけ見ても感動して涙を流します。
このように信仰生活をしながら流す感謝の涙、魂のための悲しみの涙など、善に属する涙は美しい宝石になって、それぞれの天国の家に飾られます。真理を喜ぶことで神様に愛されている証拠がいつも日々の生活の中にあふれますよう、主の御名によって祈ります。


 

 

 
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